OKAWA DNA
OKAWA DNA
1934年、東京都港区で創業した大川精螺工業。創業者・大川儀三郎による小さなねじ加工工場は、カメラやトランジスタ、テレビの軸受けなどの切削小物部品から歩みを始めました。その確かな品質と誠実なものづくりが信頼を呼び、やがて大手自動車メーカーのパートナーとして、スタッドボルトをはじめとした重要部品の製造を担うまでに成長しました。
当時、自動車産業はまだ黎明期。少量生産ながらも非常に厳しい品質基準が求められる中、私たちは一つひとつの仕事に真摯に向き合い続けました。その姿勢が評価され、自動車用の重要保安部品の開発・製造へと領域を広げていきます。
ものづくりへの情熱と探究心が、成長を続ける日本の自動車産業を支え、ともに歩んできた。それは、当社の誇りでもあります。
この革新的な技術によって、従来は複数工程を必要としていたブレーキホース継手金具の製造が一体化され、
生産工数の削減、コストダウン、材料歩留まりの向上など、多くのメリットを実現しました。
この成功体験が、私たちのものづくりの姿勢をより強固なものへと変えていきます。
以降も、革新的な機械への投資を惜しまず、スキルフルなエンジニアの育成に努め、新たな技術や製品の創出に取り組んできました。
高い好奇心と探究心を原動力に、ものづくりの技術と、その根底にある“楽しさ”を追い求める姿勢こそが、大川精螺工業のDNAです。